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【前編】日本発のスポーツテック、日本のものづくりの力で北米・MLB市場に挑む(RUN.EDGE小口淳)

2023.03.09

写真提供=RUN.EDGE

2022年12月、MLB(メジャーリーグベースボール)及びマイナーリーグの関係者が一堂に会す一大イベント「MLBウィンター・ミーティング」が、完全なオフラインイベントとしては3シーズンぶりに、カリフォルニア州サンディエゴで開催された。

会場の中心近くに、MLBが選出したスポーツテック企業20社が技術やプロダクトを展示する「MLB Technology Exhibit」が開かれ、その中の一つに選ばれたのが、日本発の分析アプリケーション「PITCHBASE(ピッチベース)」だった。

スポーツテックの分野では、米国が一番進んでいると一般的に言われているが、2018年に富士通からカーブアウトしてできたスタートアップ RUN.EDGE(ランエッジ)は、独自の映像技術を組み込んだ分析アプリケーション「PITCHBASE」を開発し、米国スポーツテックの中でも最先端を進むMLBの中で、球団シェアを広げている。

大企業から生まれたスタートアッププロジェクト

2015年4月に富士通の中で立ち上がったPITCHBASEの開発プロジェクトは、富士通の事務所ではなく、千駄ヶ谷のコワーキングスペースを開発拠点にした。

2010年前後から富士通の中ではたくさんの新規事業のプロジェクトが立ち上がったが、その多くが事業として成立することなく消滅した。当時成功しなかった事業の多くは、無駄に関係者が多く、意思決定に余分な時間がかかるだけでなく、事業の成長とベクトルが合っていない意思やしがらみがどんどん事業に介入し、またそれと同時に事業を立ち上げた当事者たちは事業成長ではなく承認者の意図に添うことに頭のほとんどを使うようになっていた。

そして、いつの間にか事業から魂が抜けていき、勢いを失い、当事者のモチベーションと会社の投資が縮小していくと、最終的には、その事業プロジェクトは小さく残されるか消えていく、という結末を迎えていた。

PITCHBASEのプロジェクトは、できるだけ既存組織と距離を置き、また意思決定プロセスはできるだけシンプルにプロジェクト内で完結できるよう、拠点を富士通の事務所ではなく、事務所から近くもない千駄ヶ谷のコワーキングスペースに設置した。

野球に対してITがやるべきこと

野球そのものの何かを変えたり進化させたりということは、ITがやることではない。むしろ人間同士の全力がぶつかり合い、そこに感動が生まれる野球のプレー自体にITや技術が大きく介入すべきではないと私は考えている。

あくまでITは、価値を創造する主体である選手やコーチ・スタッフのパフォーマンスを最大限に発揮するための「サポート」をすることに集中するべきだ。そう考えたとき、我々ができることは「分析をする上でのストレスを限りなくなくす」ことだった。

プロジェクトの初日、千駄ヶ谷のコワーキングスペースにプロジェクトメンバーが集まった時、私は「選手が毎日使いたくなるアプリケーションを作ろう」という目標を掲げた。分析をする上でのあらゆるストレスをなくして、分析をする習慣があまりなかった選手が、自ら毎日使いたくなるようなアプリをつくりたい、そう思った。

そのために、見たい映像やデータに最短で辿り着くことができ、その過程での検索・計算・描画などの処理がサクサク動き、最後に動画がパッとすぐに再生できる、そうした「快適な体験」を実現しないといけない。

この「快適な体験」の実現は一見簡単なことのように聞こえるが、ソフトウェアに限らずどんなものでも、定義が明確な機能開発をするより、明確なゴールのない「快適な体験」を作ることの方が難しく、そして作り手の差が出るところだ。ただ、それを実現できるメンバーが集まっているという自信はあった。

同時に、もう一つ、「世界一のプロダクトを作ろう」という目標も立てた。

開発初期の段階では、いわゆるプロダクトアウト的に開発を進めた。競合の製品の調査や球団からの具体的な要望ヒアリングなどは一切せずに、今の技術でできること・やるべきことをベースにチームで検討を重ね、機能を考えた。

はじめから市場の要件を聞き過ぎて開発をすると、顧客現場の直近の課題の解決がどうしても重視されてしまい、すでにあるプロダクトの「改良版」しかできない。それは、プロ野球のオペレーションをちょっと良くするだけで、長い目で見たらほとんど価値を提供していないことと同じになる。

PITCHBASEは、顧客がまだイメージできていない体験を提供したい、我々にしか提供できない新しい価値を提供したい、それができないと「世界一のプロダクト」は実現できない。集まったメンバーとそんな想いを共有して、走り出した。

「野球を知らない」エンジニアが集結!

写真提供=RUN.EDGE

プロジェクトに集まったメンバーは、ソフトウェア開発のスペシャリストではあったが、野球のルールを細かく知っているメンバーはほとんどいなかった。プロトタイプの段階では、「代打を送られ一度下がったピッチャーが、次の回に普通にマウンドで投球している」というような初歩的な仕様ミスがあったりもした。

メンバーの一人は「代打でピッチャーが下がって出られなかったら、次の回は誰が投げるんだ?」と真面目な顔で質問してきた。また一時期参画していた海外のエンジニアからは「なぜアウトは悪いことなんですか?」と基本的過ぎて哲学的な雰囲気すらある質問をされたこともあった。

野球の初歩的な部分でのミスは笑い話で済んだが、野球の成績集計の細かいルールをミスなく仕様に落としていくこと、また無限にあるテストケースを洗い出すことは、野球を知らない開発メンバーをかなり苦しめた。

例えば、自責点については「ある回に2アウトでエラーがあり点が入った場合、そのエラーがなければ本当は3アウトになっていた状態になるので、その失点は、投手の自責点にはならない」など、とても公正でロジカルだと感心しつつ、それらの計算ロジックをミスなく開発しテストすることはとても大変な作業だった。

成績の集計ロジックに奮闘しつつ、プロトタイプ開発の段階で、別の大きな課題にぶつかった。

PITCHBASEのメイン機能は、様々な条件で、投手が投げた特定の投球映像「一球映像」を検索し、再生するという機能だった。一球映像の再生は、映像の途中から部分的に再生することになるが、大量の映像から一球シーンを検索して再生すると、ローディングやシークの処理などで、一球の再生に約5秒程度かかることがわかった。

つまり、5秒程度しかない1球の映像シーンを見るために、5秒待たないと見られないことになる。これはユーザーにとって大きなストレスであり、PITCHBASEを使う時間の半分が、人生の無駄な時間になってしまう。「快適な体験」を実現するためには、この課題は絶対に解決しないといけない。この課題の解決が、現在のコア技術である「高速シーン再生技術」の開発につながった。

開発開始から3ヶ月間で、PITCHBASEのβバージョンができ上がった。機能はほとんど未完成であったが、高速シーン再生のプロトタイプも組み込むことができた。2015年夏、初めて国内プロ野球の球団スタッフに見てもらった時、「このアプリケーションは全く実用的ではないが、感動した」という言葉をもらった。PITCHBASEの開発の方向性が間違っていなかったと確信した。

後編では、PITCHBASEがMLB球団に導入された時の経緯などについて詳しく紹介していく。

◇小口 淳(おぐち・あつし)

RUN.EDGE株式会社 代表取締役社長

大学卒業後、富士通に入社。エンジニアとしてキャリアをスタートし、ソフトウェア開発やマーケティング、事業企画を経験。2014年にスポーツビジネスのプロジェクトを自ら立ち上げ、プロ野球を対象にした映像検索・分析サービスとして事業化。2018年6月に富士通とスカイライトコンサルティングが出資する形で、映像検索・分析サービスを主体とするRUN.EDGE株式会社を設立。代表取締役社長に就任する。


※所属・肩書等は2023年3月の執筆当時のものです

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